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量子技術「室温超偏極」で創薬へ大きく前進 室温で信号を700倍増大して創薬NMR手法を実現

2023.07.07 TOPICS

 大阪大学量子情報・量子生命研究センターの根来誠准教授、同大学基礎工学研究科の宮西孝一郎助教、同大学蛋白質研究所の杉木俊彦特任助教(現在は北里大学薬学部准教授)、愛知工業大学工学部応用化学科の森田靖教授、村田剛志教授らの研究グループは、試料を室温に保ったままスピンを揃える量子技術「室温超偏極」を用いてNMR(核磁気共鳴)(※1)信号を700倍以上増大し、創薬に用いられるNMR手法のデモンストレーションに成功しました。これにより、量子技術を創薬へと用いる社会実装に向けて大きく前進しました。

 本研究成果は、レーザー光とマイクロ波を照射することによって温度に関係なく核スピン(原子核の持つ微小な磁石)の向きを揃える「光励起三重項状態の電子スピンを用いた動的核偏極(DNP)(※2)法(略称:トリプレットDNP法)」によるものです。

 NMR分光の感度は核スピンの向きが揃った割合を示す偏極率(※3)に比例します。偏極率は室温では通常10万分の1程度という非常に低い値です。NMR分光は新材料探索や創薬において必要不可欠なツールとして用いられていますが、その感度の低さが適用範囲を大きく制限しています。

 研究グループは、サリチル酸と呼ばれる分子固体中の核スピン偏極率をトリプレットDNPによって室温で高め、その後試料を水溶液で溶かしてからヒト血清アルブミンと呼ばれる蛋白質と混ぜNMR信号によりその結合の様子を検出することに成功しました(図1)。

 この時の溶液状態でのサリチル酸の炭素核スピンの偏極率は0.7%であり、通常のNMR分光の環境に比べて700倍以上強い信号が観測されました。また、サリチル酸よりも強く結合するワルファリンと呼ばれる医薬品有機分子を共存させると、ワルファリンがサリチル酸を阻害する様子を示す明確なNMR信号の観測にも成功しました。 

 このような蛋白質との結合や、阻害の様子をとらえることは創薬NMR分野(※4)で非常に良く用いられる基盤的な手法であり、本成果は「室温超偏極」を創薬へと用いる社会実装に向けて道を拓くものであると研究グループは考えています。

 本成果は、米国東部時間7月4日午前 8時(日本時間 7月4日午後9時)に米国化学会のThe Journal of Physical Chemistry Lettersオンライン版で公開され、Editor's Choiceに選ばれました。

■用語解説

(※1)NMR(核磁気共鳴)

 核スピンに静磁場をかけると、その磁場のまわりをコマのように歳差運動(首ふり運動)を行います。その歳差運動の周波数の電磁波(例えば、0.4テスラの磁場中の水素核スピンなら17 MHzの電磁波)を与えると、それに共鳴して首ふり運動の角度が変化し、放出された電磁波からその様子を観察できます。このような現象を核磁気共鳴(NMR)現象と呼びます。原子核の種類や分子構造の違いによって周波数が異なるので、この電磁波を解析することによって分子構造情報を調べることができます。これはNMR分光法と呼ばれ、化学分析に必要不可欠な方法となっています。

(※2)DNP(Dynamic Nuclear Polarization、動的核偏極)

 通常の分子中では、スピンの向きが反対の二つの電子が対になり、電子スピンによる電磁波の吸収、放出は打ち消されます。しかし、ラジカルと呼ばれる分子では不対電子が安定して存在しています。このようなラジカルを少量添加した試料に電子スピンが共鳴するマイクロ波を照射すると、電子スピンの首ふり運動の角度が変化します。この角度の変化する速度に、核スピンが共鳴する周波数が含まれるとき、電子スピンと核スピンの偏極率が交換されます。これによって核スピンの向きを揃えることを動的核偏極と呼びます。熱平衡状態の電子スピンを使ったDNPでは原理的には最大660倍の信号強度増大が可能となります。温度が低いほど熱平衡状態の電子スピンの偏極率は大きくなるので、従来のDNPではより高感度化を求めて極低温下で行われています。なお、Ovehauserの理論的発見やSlichterによる実験的実証がなされたのは1953年であり、今年は70周年にあたります。

(※3)偏極率

 静磁場中の水素核スピンや電子スピンのエネルギー準位は、スピンが磁場に対して平行な状態のエネルギーと反平行な状態のエネルギーに分裂します。それぞれのエネルギーを持つスピンの占有数の差を総スピン数で割ったものが偏極率と定義されています。一般的な環境下での熱平衡状態では、偏極率はスピンの磁気回転比と静磁場強度に比例し、温度に反比例します。電子スピンの磁気回転比は水素核スピンに比べ660倍大きいので、同環境下では電子スピンの方が偏極率は660倍大きくなります。

(※4)創薬NMR

 NMR分光や材料探索や物理学、生化学の研究などにも使われているが、創薬への応用が盛んにおこなわれている。本成果論文の著者である杉木博士によるレビュー論文にまとめられている。

"Current NMR Techniques for Structure-Based Drug Discovery" T. Sugiki, et al., Molecules 2018, 23(1), 148; https://doi.org/10.3390/molecules23010148

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